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からし種の寓話

ゴータミは若い母親でした。

息子を授かった時、彼女はとても幸せでした。

しかし、息子は走り回って遊ぶことができるようになった頃に、突然亡くなってしまいました。

ゴータミはショックのあまりにその現実を直視することができませんでした。息子を抱きかかえ、周りの家々を訪問し「息子のために薬をください」と渡り歩きました。

しばらくして、友人の一人がとある僧に相談してみるように勧めてくれました。

その僧は薬の材料にするからと、ゴータミにあることをするように言いました。それは町の家を回って、今までに死人を出したことのない家からからし種をもらってくることでした。

しかし、どの家を訪ねても、返事は同じでした。どこでも誰かが死んでいると聞かされました。

結局ゴータミは誰からもからし種をもらえず、悲しみとあきらめを胸に、町のはずれに行き、息子を埋葬しました。「愛しい息子よ。死によって連れ去られたのはお前だけのように思っていたが、私は間違っていた」悲しみいっぱいの儀式を終えたゴータミは、子供にそう呼びかけました。

ゴータミは僧院に戻り、僧にからし種をもらえなかったことを涙ながらに伝えました。

僧はそんなゴータミを優しく抱いて迎えてくれました。

「あなたは子供を失った悲しみに正面から立ち向かったのです。これからは少しずつ悲しみに囚われることは減っていくでしょう」

 

 

 

悲しみがやさしくなるとき―子どもを亡くしたあなたへ

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ブッタとシッタカブッタ (心の運転マニュアル本)

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この話はお寺のお坊さんにも聞いたお話です。

私たちはこの世界の理不尽な選択を受け入れざるを得ない時があります。そのようなときにこの話を思い出します。

 

しかし、それぞれの家庭の死の形は同じでしょうか。年長者から順番に老衰で亡くなるのと、生まればかりの赤ちゃんが病気や事故でなくなるのとでは全く違うと思います。

そのようなときに、この残酷な現実に私たちはどのように向かい合えばいいのか。

戦争中のように多くの人が不条理な死を迎え、多くの人が遺族として悲しみを経験したと思われる時代であれば、お互いに支えあって、もう少しうまく現実と折り合いをつけられそうな気がしますが…

 

子供のころよりも、大人になった今のほうが戦争を体験した人に聞きたいことがたくさんありますね。