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明けない夜は

今回もやはり亡くなった友人のことについてだが、そのお兄さんの話によると今年の1月の彼の命日に誰かが来て花を手向けてくれていたようだった。

 

彼が亡くなったのは、2017年だから4年も前のことになる。亡くなって間もないうちは多くの方が来てくれていたようだが、やはり年々少なくなっているらしい。私も今年は行っていないので申し訳ないが。

月日が経つと風化してしまうことは避けられないと思う。それでもなお墓前に来て手を合わせてくれる方がいるというのは友人もいい人たちに出会えたのだなと思う。そう思うのは私だけではないはず。きっと残された友人の家族も救われていると思う。

そしてそんな方たちにこそ幸せな人生を送ってほしい。

 

よく夜は必ず明けるとか、雨は必ず上がるとか言って人生はいいときも悪い時もあるから、悪い時は踏ん張り時だ。なんていう人たちやドラマがあるけど、見たことも話したこともない人間にいきなり殺された友人にそんなことが言えるのだろうか。たった一回の悪い時で、すべてが終わった友人に。

そういうことを言える人はたいして悪い時を経験していないか、悪い時に踏ん張れるだけの気力や体力があっただけで、そうであればもちろん賞賛に値するが、そうでない人たちも大勢いることを想像してほしい。死人に口なしで、荒波を乗り切れなかった人たちは語れないだけである。もしくはそういう人たちに光を当てようとしてないだけか…。

 

毎年1月に阪神淡路大震災、3月に東日本大震災のことが報道されるが、その被災者、遺族で今もまだ悲しみにくれている人がきっとたくさんいることと思う。

今までは自分もどこか遠いことのように感じていた。身近にこんな不幸な形で、さぞ苦しかったであろう、痛かったであろうことが予想された形で亡くなった人はいなかったから。

でも今は少しはわかる気がする。家族を理不尽に奪われた怒りや、悲しさ、苦しみに終わりはないのだということを。

 

 

逢いたくて

最近はふとしたことがきっかけで亡なった友人の兄と話す機会が増え、彼らのことばかり書いている。とはいってもサボり気味だけど。

 

友人が亡くなってからもうすぐ4年が経つ。彼は

「一つ違いの年子だったのに、いつのまにか5歳差になってしまった」

と言っていた。

 

きっと理不尽な形で奪われた悲しみや苦しみや怒りというものは消えることはないだろう。普通の周りの人間が「時間が癒してくれる」なんて言ってはいけないんだろうな。痛みを抱えても前に進まざるを得ないから、見かけは生活しているんだと思う。

犯人は捕まったが懲役40年くらいの刑だそうだ。彼の内心は心穏やかではないと思う。

なぜ友人は死ななければいけなかったのか。なぜ犯人は生きているのか。

留学してきたという人と会うと、この人は無事で滞在期間半年くらいの友人はなぜ殺されなければいけなかったのか。

兄弟姉妹が健康で存命な人と一人になってしまった自分は何が違ったのか。

その差は何だったのか。

 

今日も広い世界ではたくさんの人が不条理な理不尽な理由で亡くなっていることでしょう。その一人一人に大切な家族や友人がいたはず。

殺人、自死、病死、事故、自然災害…。残された周りの方にどんな言葉をかけたら、少しでも気持ちが軽くなるだろうか…。

彼が言うにはかけられた言葉の中で心に残ったのは「かける言葉もない」だと言っていた。

 

Twitterでは多くの自死遺族の方、病死の方の悲痛なツイートがある。でも友人の兄のように殺人被害者遺族のツイートはないのではないか。

そして彼の家族は日本でカウンセリングの支援を受けることができたらしい。しかし、それは彼の居住している県がそういう制度を設けているからであって、日本の国としてすべての人に同じ権利があるわけではない。彼らのように本当に精神的なケアが必要な人に果たして支援はあるのだろうか…。声を上げられないほどのダメージを受けた人々の助けてがこの国は聞こえているだろうか…。

 

彼はあまり人前では泣けなくてね、と言ってある曲を紹介してくれた。

この曲を聴いたときに涙が止まらなかったらしい。でも、そのあとすっきりしたとも言っていた。

悲しくて悲しくて、でも泣けなくて心に溜まった感情はいつか爆発して悲惨な結末になってしまう気がして、しっかりと悲しんで泣くことができたようで少しほっとした。

 

https://www.youtube.com/watch?v=vZ2f_C-JQvM

 

逢いたくていま

 

作詞:MISIA 

作曲:Jun Sasaki

 

初めて出会った日のこと 覚えてますか
過ぎ行く日の思い出を 忘れずにいて
あなたが見つめた全てを 感じていたくて
空を見上げた 今そこで私を見守っているの?教えて…

 

今逢いたいあなたに
伝えたいことがたくさんある
ねえ逢いたい逢いたい
気づけば面影 探して悲しくて
どこにいるの?抱きしめてよ
私はここにいるよ ずっと

 

もう二度と逢えないことを知っていたなら
繋いだ手をいつまでも離さずにいた

「ここにいて」とそう素直に泣いていたなら
今もあなたは変わらぬまま私の隣で笑っているかな

 

今逢いたいあなたに
聞いて欲しいこと いっぱいある
ねえ逢いたい逢いたい
涙があふれて時はいたずらに過ぎた
ねえ逢いたい抱きしめてよ
あなたを思っているよ ずっと


運命が変えられなくても 伝えたいことがある
「戻りたい…」あの日あの時にかなうのなら何もいらない

今逢いたいあなたに
知ってほしいこといっぱいある
ねえ逢いたい逢いたい
どうしようもなくて全て夢と願った
この心はまだ泣いてる
あなたを想っている ずっと

 

この曲は聴いただけでなく、対話もした気がすると言っていた。

彼は亡くなった友人に伝えたいことがたくさんあることを思い出した。

 

結婚したこと。

白血病の妻が無事に子どもを産んだこと。

きっと友人が見守ってくれたんだ思ったこと。

無事に生まれたときにはあれほど恨んだ神に感謝したこと。

白血病の妻と同室だった人が亡くなり、その人の弟さんになにかしてあげたいけど、どうしたらいいか迷っていること。

転職したこと。

亡くなった友人が留学先で出会った人が友人の亡くなった後から日本に来て、今も働いていること。

亡くなった留学先で友人が行ったところに全て訪問し、どんな景色を見てどんな人に会ったのか見てきたこと。

留学を後押ししたことを後悔していること。

毎年命日に友人が来てくれること。

亡くなった友人の友人からたくさんの写真をもらったこと。

病院(職場)の人も友人もたくさん悲しんでくれたこと。

友人の母は暑い日も寒い日も雨の日も風の日も、毎月月命日に墓参りを欠かさずに行っていること。

友人父も母も街中で友人に似た人を時々見かけてはっとすることがよくあること。

亡くなった友人が帰国する予定だったその日に親戚一同で集まったけど、今まで気丈に振舞っていた友人母が大泣きして、最後まで寄り添って背中をさすり肩を抱いていたのは友人父だったこと。

4年しか経っていないが、みんな歳をとって髪も薄くなり、白髪も増えて老けたこと。

祖母は友人が亡くなってから痴呆の進行が進んでいること。

同じ無差別殺人で犠牲になった人と連絡をとりあっていること。

友人の部屋はまだ実家に変わらずにあること。

今も家族のLINEのグループに友人はいること。

亡くなった直後はよく夢に出てきて、玄関を開けてただいまと帰ってきて、やっぱり夢だったかと思ったところで目を覚ましたこと。

その夢はもう見なくなったけど、やっぱりもう一度会って話してみたいこと。

携帯でふざけて取った友人の写真が消せないこと。

自分と同様に大切な存在を亡くした人に何か力になりたいこと。

亡くなった友人はたくさんの人に愛されていたこと。

 

ーーー

生まれたお子さんの写真を見せてもらった。目元が亡くなった友人にそっくりだった。

将来、もし友人に似たら人を助ける仕事をするかな。


 

 

日本の仏教

以前、亡くなった友人のことを書きました。

その時のことをふと思い出しました。

 

その友人の兄弟が話してくれました。

葬儀の際のに友人につけた戒名に70万円程したと。

さらには、お経をあげる際に名前も年齢も間違えていたと。

 

彼は無差別殺人で殺害されました。子供がそのような恐ろしい事件で命を落としたのにも関わらず、担当の僧侶の方はご両親に慰めるような気を遣うような言葉すらかけず、淡々とお勘定の話をしたそうです。

 

また彼の一回忌か三回忌でのことですが、別の僧侶の方に「なぜ先祖は兄弟をも持ってくれなかったのですか」と聞いたそうです。

「海外にいて守れなかった」という返事が返ってきたそうです。

 

日本の仏教はあまりにもビジネスライクな葬式仏教だと感じます。

葬式の設備なんて、棺桶と食事以外は使い回しだと思います。支払われたお金は寺の維持と僧侶の方の給料になると思いますが、高齢化社会で亡くなる人が多くなれば安くなるというわけではないのですね。

 

僧侶といえど、自身の生活が懸かっているのか、費用も安くはありませんし、他人の痛みがわかる人ばかりではありません。

私としては、友人の兄弟のように心に大きな傷を負いながらも生きている方に僧侶やカウンセラーなどになってもらいたいと思います。

 

仕事でミスをすれば、その分追加で工数がかかりますし、部品代もかかるかもしれません。お客様は傷ついたものは返品できます。

お坊さんに対しては……ボイスレコーダーでも持参するしかありませんね。

NOTHING CHANGES IF NOTHING CHANGES

先日某大型ストアでシリコンのブレスレットを見かけた。

そのブレスレットには

 

NOTHING CHANGES IF NOTHING CHANGES

 

とデザインされていた。

 

何も変えなかったら、何も変わらない

 

という意味であるらしい。

 

変化は自ら起こるのか、それとも起こすのか。

 

万物は流転する

樹木は生育することのない

 

無数の芽を生み、

 

根をはり、枝や葉を拡げて

 

個体と種の保存にはありあまるほどの

 

養分を吸収する。

 

 樹木は、この溢れんばかりの過剰を

 

使うことも、享受することもなく自然に還すが、

 

動物はこの溢れる養分を、自由で

 

嬉々とした自らの運動に使用する。

 

このように自然は、その初源から生命の

 

無限の展開にむけての序曲を奏でている。

 

物質としての束縛を少しずつ断ち切り

 

やがて自らの姿を自由に変えていくのである。

 

 

この詩はみなとみらい駅で見ることができます。その壮大さに驚きと言葉の美しさに長いエスカレータに乗る時間も短く感じます。

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万物は流転するというのは古代ギリシアヘラクレイトスの言葉ですが、同じようにこの世のすべてのものは常に変化していくということと、その儚さを見事に表現していると思います。

 

今はもうない思い出の場所を通りかかったときに、寂しいような懐かしいような気持ちになります。その時見たもの、遊んでいる友人の声、吹く風の匂い等はもう二度と体験することはないけれど、たしかにその時そこに存在しているのだと思います。

 

恵みをもたらすのも神、災いを呼ぶのも神

私の友人は若くして亡くなりました。たまたまその時その通りを歩いていたというだけで。その時一緒にいた別の友人も骨折しました。

その二人を分けた差は何だったのか。

神の存在を疑ってしまいます。

『なぜ私だけが苦しむのか』という本で著者は、神は善人にふりかかる災いを防ぐことができない。神は全能ではない。としています。

 

 

なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)

なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)

 

 

 

私はそれ以上に、すべての人に良いことも悪いことももたらす太陽のような存在だと思います。悪人に恵みをもたらすこともあるでしょうし、善人に災いをもたらすこともあるでしょう。

この世界は非常に残酷なところです。人生は不平等です。

しかし、良いことにも悪いことにも巡り合う可能性は誰しもがあります。お金持ちや権力者は巡り合う可能性を減らしていますが、0にはなり得ないと思います。

 

誰にも平等に与えられるのは、死だけですね。

私もあなたも今日死ぬかもしれませんよ。

 

からし種の寓話

ゴータミは若い母親でした。

息子を授かった時、彼女はとても幸せでした。

しかし、息子は走り回って遊ぶことができるようになった頃に、突然亡くなってしまいました。

ゴータミはショックのあまりにその現実を直視することができませんでした。息子を抱きかかえ、周りの家々を訪問し「息子のために薬をください」と渡り歩きました。

しばらくして、友人の一人がとある僧に相談してみるように勧めてくれました。

その僧は薬の材料にするからと、ゴータミにあることをするように言いました。それは町の家を回って、今までに死人を出したことのない家からからし種をもらってくることでした。

しかし、どの家を訪ねても、返事は同じでした。どこでも誰かが死んでいると聞かされました。

結局ゴータミは誰からもからし種をもらえず、悲しみとあきらめを胸に、町のはずれに行き、息子を埋葬しました。「愛しい息子よ。死によって連れ去られたのはお前だけのように思っていたが、私は間違っていた」悲しみいっぱいの儀式を終えたゴータミは、子供にそう呼びかけました。

ゴータミは僧院に戻り、僧にからし種をもらえなかったことを涙ながらに伝えました。

僧はそんなゴータミを優しく抱いて迎えてくれました。

「あなたは子供を失った悲しみに正面から立ち向かったのです。これからは少しずつ悲しみに囚われることは減っていくでしょう」

 

 

 

悲しみがやさしくなるとき―子どもを亡くしたあなたへ

悲しみがやさしくなるとき―子どもを亡くしたあなたへ

 

 

 

ブッタとシッタカブッタ (心の運転マニュアル本)

ブッタとシッタカブッタ (心の運転マニュアル本)

 

 

この話はお寺のお坊さんにも聞いたお話です。

私たちはこの世界の理不尽な選択を受け入れざるを得ない時があります。そのようなときにこの話を思い出します。

 

しかし、それぞれの家庭の死の形は同じでしょうか。年長者から順番に老衰で亡くなるのと、生まればかりの赤ちゃんが病気や事故でなくなるのとでは全く違うと思います。

そのようなときに、この残酷な現実に私たちはどのように向かい合えばいいのか。

戦争中のように多くの人が不条理な死を迎え、多くの人が遺族として悲しみを経験したと思われる時代であれば、お互いに支えあって、もう少しうまく現実と折り合いをつけられそうな気がしますが…

 

子供のころよりも、大人になった今のほうが戦争を体験した人に聞きたいことがたくさんありますね。