ページ コンテンツ

逢いたくて

最近はふとしたことがきっかけで亡なった友人の兄と話す機会が増え、彼らのことばかり書いている。とはいってもサボり気味だけど。

 

友人が亡くなってからもうすぐ4年が経つ。彼は

「一つ違いの年子だったのに、いつのまにか5歳差になってしまった」

と言っていた。

 

きっと理不尽な形で奪われた悲しみや苦しみや怒りというものは消えることはないだろう。普通の周りの人間が「時間が癒してくれる」なんて言ってはいけないんだろうな。痛みを抱えても前に進まざるを得ないから、見かけは生活しているんだと思う。

犯人は捕まったが懲役40年くらいの刑だそうだ。彼の内心は心穏やかではないと思う。

なぜ友人は死ななければいけなかったのか。なぜ犯人は生きているのか。

留学してきたという人と会うと、この人は無事で滞在期間半年くらいの友人はなぜ殺されなければいけなかったのか。

兄弟姉妹が健康で存命な人と一人になってしまった自分は何が違ったのか。

その差は何だったのか。

 

今日も広い世界ではたくさんの人が不条理な理不尽な理由で亡くなっていることでしょう。その一人一人に大切な家族や友人がいたはず。

殺人、自死、病死、事故、自然災害…。残された周りの方にどんな言葉をかけたら、少しでも気持ちが軽くなるだろうか…。

彼が言うにはかけられた言葉の中で心に残ったのは「かける言葉もない」だと言っていた。

 

Twitterでは多くの自死遺族の方、病死の方の悲痛なツイートがある。でも友人の兄のように殺人被害者遺族のツイートはないのではないか。

そして彼の家族は日本でカウンセリングの支援を受けることができたらしい。しかし、それは彼の居住している県がそういう制度を設けているからであって、日本の国としてすべての人に同じ権利があるわけではない。彼らのように本当に精神的なケアが必要な人に果たして支援はあるのだろうか…。声を上げられないほどのダメージを受けた人々の助けてがこの国は聞こえているだろうか…。

 

彼はあまり人前では泣けなくてね、と言ってある曲を紹介してくれた。

この曲を聴いたときに涙が止まらなかったらしい。でも、そのあとすっきりしたとも言っていた。

悲しくて悲しくて、でも泣けなくて心に溜まった感情はいつか爆発して悲惨な結末になってしまう気がして、しっかりと悲しんで泣くことができたようで少しほっとした。

 

https://www.youtube.com/watch?v=vZ2f_C-JQvM

 

逢いたくていま

 

作詞:MISIA 

作曲:Jun Sasaki

 

初めて出会った日のこと 覚えてますか
過ぎ行く日の思い出を 忘れずにいて
あなたが見つめた全てを 感じていたくて
空を見上げた 今そこで私を見守っているの?教えて…

 

今逢いたいあなたに
伝えたいことがたくさんある
ねえ逢いたい逢いたい
気づけば面影 探して悲しくて
どこにいるの?抱きしめてよ
私はここにいるよ ずっと

 

もう二度と逢えないことを知っていたなら
繋いだ手をいつまでも離さずにいた

「ここにいて」とそう素直に泣いていたなら
今もあなたは変わらぬまま私の隣で笑っているかな

 

今逢いたいあなたに
聞いて欲しいこと いっぱいある
ねえ逢いたい逢いたい
涙があふれて時はいたずらに過ぎた
ねえ逢いたい抱きしめてよ
あなたを思っているよ ずっと


運命が変えられなくても 伝えたいことがある
「戻りたい…」あの日あの時にかなうのなら何もいらない

今逢いたいあなたに
知ってほしいこといっぱいある
ねえ逢いたい逢いたい
どうしようもなくて全て夢と願った
この心はまだ泣いてる
あなたを想っている ずっと

 

この曲は聴いただけでなく、対話もした気がすると言っていた。

彼は亡くなった友人に伝えたいことがたくさんあることを思い出した。

 

結婚したこと。

白血病の妻が無事に子どもを産んだこと。

きっと友人が見守ってくれたんだ思ったこと。

無事に生まれたときにはあれほど恨んだ神に感謝したこと。

白血病の妻と同室だった人が亡くなり、その人の弟さんになにかしてあげたいけど、どうしたらいいか迷っていること。

転職したこと。

亡くなった友人が留学先で出会った人が友人の亡くなった後から日本に来て、今も働いていること。

亡くなった留学先で友人が行ったところに全て訪問し、どんな景色を見てどんな人に会ったのか見てきたこと。

留学を後押ししたことを後悔していること。

毎年命日に友人が来てくれること。

亡くなった友人の友人からたくさんの写真をもらったこと。

病院(職場)の人も友人もたくさん悲しんでくれたこと。

友人の母は暑い日も寒い日も雨の日も風の日も、毎月月命日に墓参りを欠かさずに行っていること。

友人父も母も街中で友人に似た人を時々見かけてはっとすることがよくあること。

亡くなった友人が帰国する予定だったその日に親戚一同で集まったけど、今まで気丈に振舞っていた友人母が大泣きして、最後まで寄り添って背中をさすり肩を抱いていたのは友人父だったこと。

4年しか経っていないが、みんな歳をとって髪も薄くなり、白髪も増えて老けたこと。

祖母は友人が亡くなってから痴呆の進行が進んでいること。

同じ無差別殺人で犠牲になった人と連絡をとりあっていること。

友人の部屋はまだ実家に変わらずにあること。

今も家族のLINEのグループに友人はいること。

亡くなった直後はよく夢に出てきて、玄関を開けてただいまと帰ってきて、やっぱり夢だったかと思ったところで目を覚ましたこと。

その夢はもう見なくなったけど、やっぱりもう一度会って話してみたいこと。

携帯でふざけて取った友人の写真が消せないこと。

自分と同様に大切な存在を亡くした人に何か力になりたいこと。

亡くなった友人はたくさんの人に愛されていたこと。

 

ーーー

生まれたお子さんの写真を見せてもらった。目元が亡くなった友人にそっくりだった。

将来、もし友人に似たら人を助ける仕事をするかな。