足元を見ない船頭の向かう先
先日に関係のあることなのですが、そもそも生物はなぜ子孫を残そうとするのでしょうか。
生物は本能として、性質として拡大や繁栄するように条件付けされているような気がします。またそのような傾向にあるものだけが、今日まで命をつないできたのでしょう。
ヴィクトール・フランクルは、個人ひとりひとりの人生に意味があるかないかの2つのいずれかになるとしています。
子孫うんぬんは関係ないということです。
前者は子孫を得て、生物学的に「永遠化」(『それでも人生にイエスという』の表現をそのまま使用しています)するという方法に頼らなくても、意味はあるとしています。
後者の場合、ただ子孫を得て、「永遠なもの」にしようとしても、それ自体無意味なものを永遠化しようとしているだけで、結局は無意味にしかなりえません。
- 作者: V.E.フランクル,山田邦男,松田美佳
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 1993/12/25
- メディア: 単行本
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人が自分の人生に意味があるのかないのかを問うのは、現在絶望の中にいる人、出産できる年齢を超えた人たち、時代についていけなくなった人たち、仕事ができなくなった人たち、高齢者の人たち様々なひとに対して、社会の下す評価によって、もはや有用ではないとされ、その見解がすべてであるとされているからではないでしょうか。
本来であれば、宗教がさまざまなものの見方を教えてくれ、国全体で助けていくのが理想なのでしょうけど、厳しいですね。
余裕のある人は手を差し伸べずに、自分は涼しいところで、自分のやりたいことをやるだけ。目先のことを優先に国民をボランティアとして、兵士のように使おうとし、お坊さんも損得勘定で動くとなれば、先の見えない平民は意味を問いたくなりますね。
船頭多くして、船山登るということわざがありますが、船頭目隠しして、船はどうなるのでしょうか。
なぜ私だけが…という問い
今日は9月最初の平日ということもあって、通勤中の学生が多かったですね。
この時期は学生の自殺を止めようとする趣旨の報道がされます。
直前になって、付け焼刃のように言われても…と思ってしまいます。もっと普段から、もっと身近にいる人が助けを求められる存在になってほしいと思います。
そのような形でなくとも、お子さんを喪った親御さんは世界で一番の苦しみを抱えています。今後は、国として事実の捜査や裁判よりなによりもまず、遺族の方々に尽くしてほしい。
現実としては難しいでしょう。今の時代この日本において、このような悲劇は誰もが体験するわけではありません。辛い思いを共有することはそうそうできないと思います。
国も会社も一個人を助けてはくれません。
『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』という本があります。
いつの時代にも、不条理な理由で様々な苦痛に耐えている人がいます。残念ながら、人生とは不公平なものです。少しでも平等にしようと、法律がありますが、完全ではありません。
筆者自身もお子さんを先天性の病気で亡くしています。それでも後世に生きる私たちに立ち上がれなくてもいいから、顔を上げてほしいと、本書にメッセージを託したのだと思います。
誰もが持っている癖
今まで存在してきた誰もが共通して持っている癖は考えることだと思います。
この考えるという行為は非常に自然で私たちに良い影響を与えることもあれば、悪い影響を与えることもあります。
また、考え方もある程度の傾向があると思います。
癖というものは非常に厄介で、なかなか修正することが難しいものですね。
直すには、習慣を望む方向に変えることです。気づいたら、その度に軌道修正します。最初は思うようにいかなくても、大切なのは続けることだと思います。
超楽しいー!という極端なポジティブを目指すではなく、ニュートラルで穏やかな、自分を嫌な気持ちにさせるような思考に気づいたら、いちいち反応せずに済むなりたいものです。
何か心が動いたら少しの間、姿勢を楽にして目をつぶってみよう。自分の感情を観察してみよう。
悲しい時の思考
私はその昔、ネガティブな学生であったと思います。
運動部に所属していたのですが、結果が伴わず悪い方向に考えてしまうことが多かったような気がします。
そんなときにメンタルトレーニングの本と出会いました。
思考は現実ではなく、私の色眼鏡を通して浮かび上がってくる一過性のものであるということでした。
しかし、否定的な思考が長く自分の頭に湧いてくるのであれば、それは徐々に感情に影響を及ぼし、ついには性格すらも大きく変え、精神的な病を引き越しうる可能性もあります。
人は生まれた瞬間から死に向かっています。若いからと言って明日が約束されているわけでなありません。
つらい経験や過去は変えることはできません。それに対する理不尽さや不公平さに関しての思考に振り回され、貴重な時間を浪費するのはもったいないですね。
逆に考えてみれば、私達がこうして生きていることは何とも言い難い奇跡だと思うのです。
思考はかならず、来ては過ぎ去るものです。真実でもありません。悲しみを抱えながらでも、時々は笑うことができるはずです。
先の1000年で最高の発明
この千年で最高の発明といったら何を思い浮かべますか??
『ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語』という本によれば、それはネジであるようです。
仕事柄よくねじを使いますが、最初に思い付いた人はすごいなと思います。
小さな力を大きな力に変換でき、ジャッキのように思いものを押し上げたり、圧搾機に使われたり。
起源は諸説ありますが、紀元前ア280年頃にはアルキメデスによってねじの構造を利用した揚水装置が使われていたようです。
回転の力だけであるものを移動させることもできました。
製品や機械の締結部に老朽化や不具合などがあっても、対象がねじならねじだけを交換すればいいのも効率がいいですしね。
ほかの技術と同様に戦争によってねじの需要が増えて、それまでバラバラだったサイズが規格として統一されたようです。
ねじを緩ませたくないからと思いっきり力任せに締め付けると、かえって緩みやすくなったり、破損につながります。適正なトルクで締結することが大切です。
人間も同じですね。ハッスルねじ巻きもねじを巻きすぎるとろくなことになりません。