ページ コンテンツ

なぜ私だけが…という問い

今日は9月最初の平日ということもあって、通勤中の学生が多かったですね。

この時期は学生の自殺を止めようとする趣旨の報道がされます。

直前になって、付け焼刃のように言われても…と思ってしまいます。もっと普段から、もっと身近にいる人が助けを求められる存在になってほしいと思います。

 

そのような形でなくとも、お子さんを喪った親御さんは世界で一番の苦しみを抱えています。今後は、国として事実の捜査や裁判よりなによりもまず、遺族の方々に尽くしてほしい。

現実としては難しいでしょう。今の時代この日本において、このような悲劇は誰もが体験するわけではありません。辛い思いを共有することはそうそうできないと思います。

国も会社も一個人を助けてはくれません。

 

『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』という本があります。

いつの時代にも、不条理な理由で様々な苦痛に耐えている人がいます。残念ながら、人生とは不公平なものです。少しでも平等にしようと、法律がありますが、完全ではありません。

筆者自身もお子さんを先天性の病気で亡くしています。それでも後世に生きる私たちに立ち上がれなくてもいいから、顔を上げてほしいと、本書にメッセージを託したのだと思います。

 

暑さ対策

私は思考をコントロールすることはできないと思っています。

インドの賢人、ラメッシ・バルセカールによれば、肉体精神機構つまり私たちの体や心は、自分たちでは選択することのできないDNAと環境に構成されてきました。

 

どうすることもできないのです。

辛さ苦しさ、嬉しさ楽しさを感じ、何かを考え、何かを選んだり、選ばなかったり、後悔したりすることをとめることはできないと思います。

それは勝手に起こります。

私には何かが私を通して起こることを許すことができるだけです。

 

暑さ対策だという思考は浮かんできますが、最近タピオカにハマっていることも許してあげましょう。

誰もが持っている癖

今まで存在してきた誰もが共通して持っている癖は考えることだと思います。

この考えるという行為は非常に自然で私たちに良い影響を与えることもあれば、悪い影響を与えることもあります。

また、考え方もある程度の傾向があると思います。

 

癖というものは非常に厄介で、なかなか修正することが難しいものですね。

直すには、習慣を望む方向に変えることです。気づいたら、その度に軌道修正します。最初は思うようにいかなくても、大切なのは続けることだと思います。

 

超楽しいー!という極端なポジティブを目指すではなく、ニュートラルで穏やかな、自分を嫌な気持ちにさせるような思考に気づいたら、いちいち反応せずに済むなりたいものです。

何か心が動いたら少しの間、姿勢を楽にして目をつぶってみよう。自分の感情を観察してみよう。

 

悲しい時の思考

私はその昔、ネガティブな学生であったと思います。

運動部に所属していたのですが、結果が伴わず悪い方向に考えてしまうことが多かったような気がします。

 

そんなときにメンタルトレーニングの本と出会いました。

思考は現実ではなく、私の色眼鏡を通して浮かび上がってくる一過性のものであるということでした。

しかし、否定的な思考が長く自分の頭に湧いてくるのであれば、それは徐々に感情に影響を及ぼし、ついには性格すらも大きく変え、精神的な病を引き越しうる可能性もあります。

 

人は生まれた瞬間から死に向かっています。若いからと言って明日が約束されているわけでなありません。

つらい経験や過去は変えることはできません。それに対する理不尽さや不公平さに関しての思考に振り回され、貴重な時間を浪費するのはもったいないですね。

逆に考えてみれば、私達がこうして生きていることは何とも言い難い奇跡だと思うのです。

 

思考はかならず、来ては過ぎ去るものです。真実でもありません。悲しみを抱えながらでも、時々は笑うことができるはずです。

 

 

先の1000年で最高の発明

この千年で最高の発明といったら何を思い浮かべますか??

 

『ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語』という本によれば、それはネジであるようです。

仕事柄よくねじを使いますが、最初に思い付いた人はすごいなと思います。

小さな力を大きな力に変換でき、ジャッキのように思いものを押し上げたり、圧搾機に使われたり。

 

起源は諸説ありますが、紀元前ア280年頃にはアルキメデスによってねじの構造を利用した揚水装置が使われていたようです。

回転の力だけであるものを移動させることもできました。

製品や機械の締結部に老朽化や不具合などがあっても、対象がねじならねじだけを交換すればいいのも効率がいいですしね。

 

ほかの技術と同様に戦争によってねじの需要が増えて、それまでバラバラだったサイズが規格として統一されたようです。

 

ねじを緩ませたくないからと思いっきり力任せに締め付けると、かえって緩みやすくなったり、破損につながります。適正なトルクで締結することが大切です。

人間も同じですね。ハッスルねじ巻きもねじを巻きすぎるとろくなことになりません。

 

 

テーマなんて知ったこっちゃない

自分は誰かという問いかけを誰もが一度はしたことがある思います。

 

ゴーギャンは『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』という絵を描きました。

芸術家として知られたいた彼も、同じように考えていたのでしょうか。

 

私は私という人間は存在しないと思っています。

思考、趣味嗜好は何一つコントロールできないものだと感じているからです。

すべては生まれた瞬間、誰もに与えられた遺伝子が経験をインプットし、個人個人としてアウトプットしていくものだと思います。

何かはっとするような印象に残る経験になりうるのは、そのような体験をして反応するような遺伝子を持った人であるということです。

 

どんな事を考えどんな行動を起こすのか、それは自分ではないかもしれません。

今まで私たちが経験したことすべてが、私たちを動かします。

 

私がブログを始めたのも遺伝子と人生が織りなすタペストリーですね。

すぐ辞めちゃうかもしれませんが笑

それもまた…