ページ コンテンツ

いじめ

先日、旭川でいじめによって少女が亡くなった。

 

自分がいじめを受けていたとしたら、家族には言いづらいし、学校の先生に相談したくはなる。しかし、そんな時に先生というのは100%助けてくれないと考えた方が良いと思う。逆に一番頼ってはいけない存在であると。

 

先生とはいってもいち公務員であり、いじめを受けた経験があるならば、学校にはもう関わりたくないだろうから、わざわざ先生になりたいとは思わないだろう。むしろ、いじめていた側かもしれない。または波風立てずに退職したい安定志向かもしれない。

よって、そんな人間にいじめられる側の気持ちなんて理解できるはずもないし、対処法も思いつくわけがない。

 

文部科学省がいじめ問題への対応について資料を出しているみたいだが、彼らの目の前で苦しんでいる子供はいないし、彼らも同類だから、自宅でオンラインで義務教育を受けられるように環境を整えた方が、よっぽど若い命を救えることに気づかない。

 

やはり家族に相談すべきだと思う。

反撃できるならいいが、数の暴力でどうしようもない場合は、転校でも引っ越しでも何でもして生き延びることが大切だ。戦うことよりも逃げて関係を切ることが得策である。先生に頼るよりも家族で経験者の話をネットや書籍で調べて対応した方がいいと思う。先生にとっては数十人、数百人の中の生徒一人だが、親にとっては数少ないたった一人の存在だから。

 

残念ながら、人を傷つけても何にも感じない人間というのは確かに存在する。そしてその片鱗は幼いころからあり、家族も同じような人間だろうから、違和感を覚えずにそのまま大人になっていく。

 

調べてみると、国際人権規約自由件規約の6条・児童の権利に関する条約の37条によって18歳未満の人間の行為に対する死刑ないしは終身刑は禁止されいるようだ。日本もこれらに沿うように努力宣言している。

 

またそれら規約・条約は国際連合が採択した基本的人権の中で宣言され、EUでは各国の憲法をも上回る法的拘束力を与えられている。この条約に影響をうけたのが欧州人権条約であり、ノルウェーの大量殺人犯が自らの処遇改善について求めた根拠となっている。

 

何が言いたいかというと、世界的に受刑者の人権問題に過敏になっていると思う。殺された側の人命は軽く見ているのと対照的だ。死人に口なしでこのままでは加害者からすると、一命と取り留めるよりも殺してしまった方が都合がいいことになっている。

人権を奪った人間が人権によって守られているという皮肉な状態である。

 

どの国の政府のお偉いさんもガードを固めているから問題ないだろうが、一般市民はたまったもんじゃない。

 

また少年院を出院しても再犯率は35%だという。これを低い数字といえるだろうか。

 

 

昔からアメリカで『バットマン』、最近でも『ARROW』や『FLASH』のように法律では対応が不十分な抜け道に対する憤りを解消するようなドラマが流行っている。

 

しかしあえて『DEATH NOTE』のセリフを引用したい。

「確かに法律は完全じゃない。法律を作った人間が完全じゃないから、完全であるはずはない。だが、正しくあろうとした人類の努力の積み重ねが法律だ。」

 

今後法律が改正されることを願う。