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the foreigner

『ザ・フォーリナー/復讐者』という映画を見た。
内容はテロで娘を失った父親が、犯人を探しだし復讐するというものだ。

ここから先はネタバレを含みます**

家族を殺害された遺族の中には、主人公のクワンのように犯人に復讐したいと思っている人もいるだろう。
これは当たり前の気持ちだと思う。
通常私たちがモノや食べ物を消費するとき、対価を払う。お金を借りれば利子までつけて返さなくてはいけない。
殺人犯というのはよほど残忍性がなければ死刑にはならない。無期懲役にもならない。海外であれば死刑自体を廃止している国もある。
冤罪の可能性や過失なのか故意なのか、不可抗力なのか色々な場合があるだろうから、仕方がないとは思う。

ただ現行犯で殺意があっても思った以上に軽い刑罰で済む例もあるだろう。
その場合、一時的に自由が制限されるがそれが奪ったものと釣り合いがとれているのだろうか。私には甚だ疑問である。
お金やモノであれば同等の価値があるものを返すことができる。しかし命は返ってこない。
取り返しのつかないものへの代償が時間といえばそうなのだが、時間だってある程度はお金で買えると言えよう。

未解決だった事件を解決したドキュメンタリーで遺族へインタビューシーンがあるが、犯人を捕まえることだったり、死刑制度のない国で極刑を望むといった回答があるが、本心ならば非常に先進的な人だなと思う。
自分が家族を殺されたら、犯人やその家族には生まれてきたことを後悔するようになるまで苦しめてやりたいと思うだろう。

またこの映画のタイトルにもなっているが、主人公が外国人であることも何かのメッセージだと感じる。ただの復讐劇を描きたいのであれば、別に外国人ではなくてもいい。
主人公が壮絶な過去を経験し、なんとか生活をしているなかでの悲劇であったという復讐する強い理由づけをしたかったからなのか、外国人が だからという理由で様々なサポートを受けられないということを強調したかったからなのか。

クワンはそれまでの経緯もあり、またいわゆる無敵の人になってしまったことから、それを実行に移す。
クワンは復讐を終えてもクワンの表情はずっと晴れないままで映画は終わる。
それでもクワンの帰りを待っていた人がいたことが唯一の救いだった。