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氏か育ちか

『実力も運のうち能力主義は正義か? 』(マイケル・サンデル著)という本があるのを知った。残念ながらまだ読めていないが、岡田斗司夫さんが解説をしている動画がYouTubeにあげられている。
本書は平等を理想としてきた世界が採用した能力主義によって生まれた分断を指摘している内容のようだ。


解説動画ではエリートたちの傲慢さは功績があげられたのは、自分達の努力の賜物である。だから、他の人たちが成果をあげられないのは努力不足だからである。という見方が根底にあるとしている。
しかし岡田氏は生まれもった努力では越えられない壁があり、さらにそもそも努力できるかどうかは努力できる遺伝子があるかどうかであるということを自身の運動能力と140kmで野球のボールを投げるティモンディ高岸さんを比較し述べている。

ここで私が気になったのは犯罪をおかしてしまうのも生まれもった遺伝子によるものだろうか。
ある不良少年が素晴らしい先生に出会って改心した。というよくある話も、その先生に出会って、今までの自分の振る舞いに気付ける能力も生まれもったものではないだろうか。どんなに素晴らしい先生に出会っても、改善できない人はできないだろう。

とすれば犯罪や非行に走るまたは走りやすい遺伝子、攻撃的な性質というのは存在する気がする。

言ってはいけない』(橘玲著)や『遺伝子の不都合な真実』(安藤寿康著)の著書によれば私たちの行動の一つ一つが遺伝子の影響を受けているという。どの程度の影響なのかと言われれば、少なくないといえるようだ。しかし、たとえば遺伝によって疾患しやすい病気があるのなら生活習慣を変えることで対策できる。としている。

果たして本当にそうだろうか。習慣を変えるというのは容易いことではないと思う。
現在の習慣だったり、考え方のクセを取得した過程がすでに遺伝子の影響のように思う。

結局のところ、人間は遺伝子に支配されているのではないだろうか。ある意味、私たちの思考すら運命であり、神の意思(遺伝子の意思?)であり、私ができることはないのかもしれない。

いずれにしても遺伝がどのように人生に影響を及ぼすのか、研究や実験結果に今後も注目していきたい。