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Give sorrow words

以前にも紹介した『死別の悲しみに向き合う グリーフケアとは何か』という本の中で、死別をしたときに必要なこと役に立つことが記載されており、恐れながら私も共感したことを紹介させていただこうと思う。

 

 

 

・悲しみには期限はない。

時間が経てば少しずつ気持ちに変化は生じるが、大切な人を失ったのだからたまたま訪れた店内で故人の好きだった楽曲が流れていたり等、些細なことがきっかけでふと悲しみが蘇ることはごく自然なことであると思う。

 

立ち直ることを期待する周囲の声もあるだろう(もちろんけっして悪意はないことと思う)が、そのような人は同じような死別を体験していないはずだ。もし同じような体験をしていたのであれば、とてもではないがそんな言葉はかけられないと思う。

むしろこの悲しみは一生ついて回ると覚悟を決めたうえで、どのように付き合っていけば、少しでも楽に日常を送れるのか思索するべきだと思う。

 

・自分を責めない

ついついこうすればよかったとか、ああすればまだ生きていたかもといった後悔や心残りが募り、自分を責めてしまうこともある。

私も亡くなった友人に留学を勧めてしまい、その留学先で殺害されたことは一生後悔をするだろう。一方で、彼なら私が何も言わなくても自分で自分の歩く道を切り開くため、いずれにしても海外へ行っただろうとも思う。

それに振り返ってみると、その時点では最善な行動だった。それは故人に対し、もっとこうしてあげればよかったと考えている方も同じではないだろうか。

仮に本当に良くないことをしてしまったとしても、同じくらい良いこともしてきたはずだと思う。人間であれば、相手にとって良いことも悪いこともするが、自分を責めている限りは、悪いことばかりに焦点が合ってしまい、負のスパイラルに陥ってしまう。

 

・書いてみる/手紙を書く/仏壇の前で

私もカウンセリングをうけたりお坊さんに話を聞き行ったりしたこともあるが、自分の本当の気持ちを誰かに伝えるのは意外と難しいし、自分が本当はどう感じでいるのかもわからず、なんだかもやもやした地に足が着かず浮いたような気持ちでいる時もあるだろう。

そういう時は紙に書き出してみたり、故人にメールを送るような気持ちで手紙にしたり仏壇の前で声に出さなくても話しかけ見たりするのもいいかもしれな


私は仕事で最初のとっかかりを付けるのには紙と鉛筆で図にして考えるように教えられた。そうすることでもやもやした段取りのイメージから自分の現状、把握している事していない事がわかり、では次にどうすればよいのかを考えることが出来る。

 

今回の記事のタイトルは先に挙げた書籍でも紹介されているが、シェイクスピアの『マクベス』でのセリフで、悲しみに言葉を与えよという意味である。この後「捌け口を鎖された悲しみが、うちに溢れれば、ついには胸も張裂けよう」と続く。

遺族にとっては思い出したくないことが次々に蘇ってきて、きっと簡単なことではない。しかし向き合わなければ、先ほどの仕事の例ではないが悲しみや罪悪感、怒りといった感情がもやもやしたまま心に付きまとい続ける気がする。