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ユダヤ民話

以前、殺害された友人とともに亡くなったユダヤ人のことを書いた。
また『なぜ私だけが苦しむのか』という本を読み、ユダヤ人がいかにして苦難を乗り越えてきたのかについて興味を持った。

下記の本に紹介されているユダヤ人の民話にこのような話がある。
民話というのはどれも何か大事なことを伝えるような役割がある気がしてならない。

お静かに、父が昼寝しております――ユダヤの民話 (岩波少年文庫)

お静かに、父が昼寝しております――ユダヤの民話 (岩波少年文庫)

  • 発売日: 2015/12/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

腹を空かせたオオカミと知恵者のキツネ

腹を空かせたオオカミがキツネに楽に食料が手に入る方法を聞き実行するも、うまくいかず。
キツネの策略通りに井戸に落ちて上がって来られなくなる。
キツネはその後にライオンに鉢合わす。

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ここで物語は終わっている。
ユダヤ人に伝わる民話はこのように結末が描かれていないものまある。
この物語はどうなったのだろうか、何を伝えたいのだろうか。この話からどんなことを学べるか考えてみた。

まずは他人のアドバイスをそのまま鵜呑みにしてはいけないということ。特にお金が発生するような関係であれば、なおさら慎重にアドバイスをもらう人を選べということ。
一方で、人を騙せばその後自分も困難に出くわすということ。嘘や欺くことは必ずしもあとで露呈するという前提で行動したほうがよい。
その時に騙した人を仲間にしていたら一人よりも簡単に切り抜けられるかもしれない。

涙の起源-旧約聖書から-

知恵の実を食べ、エデンの園を追われたアダムとイヴが働くことの辛さを嘆き、神に涙をあたえてもらう話。
神曰く(下記『お静かに、父が昼寝をしております ユダヤの民話』母袋夏生編訳 より引用)

「知恵がもつ痛みとかなしみからおまえたちを守り、豊かなエデンの園で無垢のままずっとすごさせてやりたかったが、おまえたちは知恵をえらんだ。
知恵とともに、苦しみと痛みを、勤勉に努力して前進することを、自立して生きる苦労を、かなしみや絶望を知ることを、おまえたちはえらびとった。

~中略~

おまえたちは、自らの知恵で、苦しくてきびしい、だが、創造的で心おどる新たな世界を、エデンの園の外におまえたち自身で創りだすことをえらびとった。

~中略~

胸が痛み、魂が嘆きかなしむとき、大切な者が災難にあって苦衷に満ちるとき、胸がはりさけそうなかなしみにひたるとき、目から涙がこぼれ落ちるようになる。涙がおまえたちの重荷をといて、痛みをやわらげてくれるであろう」

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辛い時は泣いて悲しめば悲しむほどに、痛みと向き合うことが出来る、といわれている気がする。
「泣くこと 研究」で検索すると、泣くことの効用がたくさん研究されていて、多く共通して言えるのはストレスを低減できるそうだ。

犯罪の被害で辛い時には各都道府県の警察署に設置されている犯罪被害者支援室でカウンセラーを紹介してもらったりするといいかもしれない。
しかし最終的にはオオカミのようにならず、自分で自分を救おうとしないといけない。