民族による社会の仕組みの差
友人が殺害された事件では、他に5人の方が亡くなり、数十人が負傷した事件だった。
亡くなった被害者の中にユダヤ人の子供がいた。
現地のユダヤ人は遺族のために基金を立ち上げた。
一方日本人の友人の遺族のために現地の日本人は何をしたのか。もちろん何もしてないからといって、責められるいわれはない。
ただ、どこか日本人は自己責任でしょという感覚があるのではないかという気がする。自分もそうであるから、大きな声では言えないが。
逆に遺族の立場になると、同じく現地が祖国ではないユダヤ人と比較して、いかに現地の同胞が遺族である自分達に無関心であるかと感じることと思う。
それと同時にユダヤ人の社会が弱い立場の同胞を助けるような仕組みができていることに感心する。
逆に言えばユダヤ人は祖国を追い出されたため、国による保護がなかったからかもしれない。日本の場合は、社会保障等が、ある程度は機能しているのでそのような意識は芽生えなかったのかもしれない。
しかし、不安をいたずらに煽って不必要な保険を契約させたり、投資者に不利な投資契約させたりすることが行われていて、それもノルマなどの社会の仕組みがそうさせているのであれば、まだまだユダヤ人社会に比較し日本の社会は未熟であるといわざるを得ない。ユダヤ人は同胞からは利息を取らないようだ。
- 作者:マービン・トケイヤー
- 発売日: 2016/10/03
- メディア: 単行本
映画『殿、利息でござる!』
で、金貸し屋が借りた金を返せずに夜逃げする大工に、「お前さんが悪いんじゃない。社会の仕組みが悪いんだ。これで生活を建て直しなさい。」といって、今まで返済していた金を返して送り出すシーンがあった。重い年貢だった昔から生かさず殺さすの近代、そして現代と少しずつ良くなっていると思う。むしろ今は国よりも保健屋や銀行、不動産屋に注意したほうがいいのかもしれない。